ヴァナ・ディール在住・猫・3才

うちの猫はいつも何を考えているんだろう。と、
FFXIプレイヤーな飼い主(中の人)が考察してみる場所です。
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信頼と好意と善意と自由と義務

最近いろんなことが身の回り(一方的にをちしているところも含めて)で重なって起こっているので、自分の考えをまとめてみたメモ。

特定の個人やLSを念頭においたものではなく、あくまでも一般論として猫の中の人が考えていることであり、自分はこうするというだけで、人や集団に対してこうあるべきだと強要するものではありません。受け入れられるものは受け入れるし、受け入れられないものとは距離を取るだけですから。
【自分について】

・いわゆる商行為以外で「何かをするから見返りに何かを下さい」というのは基本的に嫌い。「してあげる」「してもらう」は信頼関係と好意に基づくものでないと嫌。

・もちろん信頼と好意は強要するものではない。お願いを聞いてもらえないのは言ってることが無茶なのか自分の人徳が足りないかのどちらか。

・得られるものの価値は自分にとってどうなのかで判断する。隣の人が多くを得ているのを見ても、「自分の方が貢献しているのに、あいつの方が得しているのはおかしい」とは思わない。

・したがって、自分の行動によって(赤の他人ではなく、フレなりLSメンバーなりの)誰かが得をするならそれでいい。喜んでもらえれば自分も嬉しいし、自分も逆に他の人の行動で得をする機会があると思うから。

・もちろん上記の考え方は他人に対して強要するものではない。


【集団について】

・このゲームにおいて、集団に所属するということは、共通の目的を持ってプレイ時間をシェアするということである。

・たとえどのような集団であってもその集団に所属しない時間を持つ自由は認められるべきである(「活動時間として定められた時間内に勝手なことをする自由」という意味ではなく、「プレイ時間の全てを拘束されるわけではない」という意味)。

・そういう意味では、「所属する」という言い回しは不可能で、「参加する」という方が正しいような気もする。

・ということで言い直すと、「このゲームにおいて、集団に参加するということは、共通の目的を持ってプレイ時間の一部をシェアするということである」

・その集団に参加していない時間に得たものについては、個人に属するべきである。参加している時間中に得たものについては、その集団のルールに従うべきである。集団のルールは、その集団に参加していない時間に及ぶべきではない。

・個人に属するものを、集団の目的達成のために提供するのは、善意である。善意は自由意志であり、推奨されてもよいが、明示的にも暗黙的にも強要されてはならない。もし強要されることがあれば、それはもはや善意ではない。

・どこまでの行動を善意を持ってするかというのも個人の判断に任せられるべきものであるし、しなかったといって咎められるのであればそれはもはや善意ではない。自由意志に基づく善意を前提としている以上、「自分はしたのにアイツはしない」という批判もありえない。

・上記に関連して、しないことで集団内で咎められる事項があれば、それは義務であるという形でその集団のルールとして明文化すべきである。もちろんルールは少ないほどよい。

・ルールの少ない集団をスムーズに運営するためには、その集団内で常識や価値観が共有されていることが大前提である。共有のための努力は、集団の参加者全員がするべきである。

・善意を受けたら善意で返す仕組みは、集団としてはあったほうが居心地のいい環境になりやすく、集団としての目的達成にも近付くと思う(自分自身の行動がその仕組みの有無によって変化することはたぶんないけれど)。

・ポイント制のような貢献度を数字ではかる仕組みは、あっても不満を生む装置にしかならないと思うので、ないほうがいい。全員がが納得する貢献度とそれに見合う対価の決め方は不可能だから。

・時間が合わなくなったり、ルールに納得がいかなくなったり、集団と自分の常識と価値観に妥協し難い相違があることに気がついた場合は、いつでも集団を抜ける自由は保障されている。
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